旭川JCについて
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旭川JCの歩み
旭川JCの生い立ち
旭川JCは1950年11月18日創立総会をもって発足しました。当時敗戦後の混乱状態に対して、日本の再建はわれわれ青年の使命であると、その責任を痛感し、若さと活動力に富んだ青年の力を集結しようという機運が盛上っていました。折から元旭川商工会議所専務理事大西功氏の提唱により、川島魁太郎氏(初代理事長)他数名が集まり、東京青年会議所の定款を検討し、JCの本質を研究した結果、広く会員を募集しようと新聞広告するなどして、以後3回の設立準備会の結果1950年11月18日旭川商工会議所1号室において32名の会員出席のもとに創立総会を開催するに至りました。ここに初代理事長に川島魁太郎氏が選ばれ旭川JCは華々しくスタートし、翌1951年2月9日、日本で7番目のJCとして日本JCに正式加入が承認されました。以来各界より注目される数多くの事業を行ない、1977年5月23日には社団法人として認可されました。また日本JC等に多数の役員を送り活発なるJC運動を展開し2010年には 60周年を迎えました。「旭川JC宣言」を発信し、その具現化に向かって活動中です。
旭川青年会議所 設立趣意書万象は歴史を背景として始めて生起するものである。今や新しく生まれ来るべきもの、それは世界恒久の平和への翼求でなくして何であろう。此の来るべき世紀の凱歌こそ、吾等ことごとく戦火の中に吾身を投じ、まさしく盟友の血と肉を糧として自からの世界観を築き獲得したものに外ならない。そしてそこにこそ人類相剋に対する憎悪と平和への切なる願望が培われたのである。此の歴史的成果の帰結するところ、それは国際的認識の昂揚と国際的了解の大いなる前進であらねばならない。経済は人類社会の基盤である。日本の再建亦経済自立の達成なくして考え得べくもない。我国再建のホープたる北海道の中心に位する一大核心都市旭川の経済再建に負う責務は極めて重且大と云わねばならない。然るに今や経済活動の基盤は国際場裡の真只中に於いて考えられねばならない。戦争、孤立と封鎖の数年より一転して正に輝やかしい自由の胎動を知るのである。自立は孤立に非ずして広い世界の連関性の上に立つものである。先づ眼を開け、心の扉を開けよ。そして青年のみに与えられた純潔と至情を以って互いに団結して相援け相いましめ、限りない知性の向上と徳性の錬磨を図り、将来に於ける指導力の養成に努め、更には発足せる“国際青年会議所”を通じて、青年のこだわりなき広い友情の力を信じ国際親善に寄与することは勿論、郷土産業の振興を枢軸とする国際経済の一環を担当すべく此処に旭川青年会議所を設立せんとす。 |
旭川JCの歴史
年 代 | 活動歴 |
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1950年 | 旭川JC設立 |
1957年 | 辺地域教育助成運動 |
1961年 | 第10回全国会員大会旭川大会 |
1964年 | ナナカマド植樹(旭川の木となる) |
1971年 | 旭川医科大学の誘致運動 |
1981年 | 中小企業大学の誘致運動 |
1988年 | 旭川綱引大会の開催 |
1990年~ | アイスアートフェスタ・市民氷彫刻コンテストの開催 |
1991年~ | 烈夏七夕まつりの開催 |
1994年 | 骨髄バンク推進運動 |
1996年 | ハートフルフラワー(高齢者福祉事業)実施 |
1998年~ | こころンピック運動 |
2002年 | 第51回全国会員大会旭川大会 |
2005年~ | 旭山動物園マイスター制度 |
2008年 | 『アイスアートストリート』~アイスアートビレッジへ続く道~ たいせつマルシェの開催 |
2009年~ | 旭川ユナイテッドチルドレン設立 |
2012年 | 東日本大震災復興支援事業実施 |
2013年~ | 旭川ナナカマド基金の設立 |
2016年 | 心あるまちづくり推進キャンペーン運動を実施 |
2017年 | 旭川ラーメン甲子園を主催 |
2020年 | 第69回北海道地区大会 旭川大会を実施 |
お問い合わせは
〒070-0043 旭川市常盤通1丁目
道北経済センタービル5階